どろーわーず

track06 夏の光(前編)

  1.  増川部長毆打事件から數週間が過ぎた。梅雨も明け、そろそろ夏休みが氣になつてくる頃、部室にゐる僕らに部長が言つた。

    「ちよつとみんな集まつてくれ」

     みんなそれぞれ、作業の手を止めて、椅子を持つて集まつた。落ち着いたところで、先輩が言葉を續ける。

    「ええと、見ての通り今日は有束齋がゐないけど、あいつは何でも『利休七哲』だかについての講演會に行つてゐるさうだ。言ひ出しつぺがゐないといふのも變だが、この通り彼からは委任状をもらつてゐるから」

     先輩は手に持つた紙をひらつかせた後、

    「今年の夏休み、美術部は『合宿』をしようと思ふ」

    と言つた。みんなが少しどよめいた。僕は訊ねてみた。

    「美術部で合宿?運動部ぢやないんだし、ちよつと變ぢやないですか?」

    「これを言ひ出したのは、實は有束齋なんだ。彼は知つての通り陶藝に打ち込んでゐるが、材料の土を部費で買ふだけでなく、時々自分でも掘りに行つてゐるらしい」

    「へえ!それぁすごいや」

    「で、今年の夏、有束齋は千葉の北のはうへ土を掘りに行くといふことなんだが、あそこは海が近いんだな。で、この際皆で行つて、合宿といふことにしようではないかと、これが有束齋の提案だ」

     僕は言葉を挾んでみた。

    「でも、あちらで何をすればいいんでせう?」

    「あまり堅く考へる必要はないと思ふぞ。部の皆で海に遊びに行くと思へばいいさ。それに、なかなか景色のいいところだと聞いてゐるから、現地に着けばそれなりにスケッチをしたり寫眞を撮りたくなつたりするかも知れない。準備は各々していけばいいだらう」

     思はぬ提案に、僕らは一瞬靜まり返つたけど、やはりと言ふか、殿間さんがはしやいだやうに言つた。

    「いいぢやないですか、合宿!海!行くよね、ゆーちやん、ふーちやん」

    「はい、行きます」

     ふーちやんは即答したけれど、僕は…。

    「あ、あのー、えーと、あたしは…」

    「あ、ちなみに、もし行くんだつたら小平は一人部屋な」

    「え、何それずるーい。だつたらあたしは部長と一緒の部屋がいいな、なんて嘘ー」

    「…私も行くわ」

     低い聲が殿間さんの冗談口を遮るやうに聞こえた。江古田先輩だつた。その聲を聞いて、部長はまとめるやうに言つた。

    「よしそれぢや、全員參加といふことでいいな。宿や交通の手配は、僕と有束齋でしておくから。みんなも適當に準備しておいてくれ。それぢや、今日はこれで解散しよう」

     みんなそれぞれ片付け出した。部長も、いつになくいそいそと道具をしまつてゐる。僕はそんな部長のところに寄つて行つて言つた。

    「あの、合宿のことなんですけど…」

    「うん?ゆーちやんも行くよな。あそこら邊、魚も旨いらしいし。ああ、お金のことなら心配しなくていいよ、旅費は有束齋の隱し球があるし、宿もなるべく安いところにするから。それぢや」

     先輩は荷物をまとめて出て行つた。何だか、言葉少なに押し切られてしまつた感じだ。氣がつけば、部室に殘つてゐるのは僕一人だつた。

    (困つたなあ…)

     僕が何とか女の子のふりを出來てゐるのは、今着てゐるこの制服のおかげだ。他の本物の女子部員たちの前で、私服や水着になつて、僕は無事に乘り切れるだらうか。自信がない。でも、合宿に行かないと、部長に近づくチャンスをみすみすフイにしてしまふやうな氣もする。

    (泳げないといふことにしておけばいいかな…)

     例のトイレで、男に戻り乍ら、僕はさう考へた。

  2.  それから數日後、學校から歸つてみると、僕のベッドの上に紙包みが置かれてゐた。

    「合宿の話は聞いた。これを着て行くやうに」

     姉ちやんのメモが載せてある。全く、どこからそんな話を聞いてくるんだ?それにしても、妙に小さな包みだな…僕はいぶかしがり乍ら包みを解いた。

     僕はびつくりした!包みの中には女の子用の水着が入つてゐた。しかも、トップの方は、驚く程小さな紐ビキニだ。まさか、これを着ろと?流石にそれはないだらうと、僕は水着をつかんだまま、姉ちやんの部屋に向かつた。

    「姉ちやん、ちよつとこれ…えつ?」

     姉ちやんは机の前に座つてパソコンを見てゐる。その畫面を見て、僕は水着を取り落としてしまつた。ウェブブラウザが開いてゐて、そこには女裝少年の寫眞が澤山映し出されてゐる。しかもそれは、結構生易しくない感じのページで、被寫體の子たちは、下着をずらしたり、男と絡んだりしてゐる。

     姉ちやんが振り返つた。僕は全身が冷たくなつたやうな氣がした。

    「姉ちやん、何見てゐるの?」

    「何つて…」

     何だか、聲が震へてくる。

    「まさか姉ちやん、僕の寫眞を、こつそり撮つて、誰かに賣つたりしてゐないだらうね?」

    「ゆー!」

    「そのページは何?いつから見てゐるの?もしかして、姉ちやんも、僕に水着着せて、エロ本まがひの格好をさせて小錢稼ぎを…」

     姉ちやんは立ち上がり、僕の頬をひつぱたいた。

    「出てけ!」

    「でも姉ちやん!」

    「いいから、さつさと出てけ!」

     僕は部屋の外に押し出された。さつき落とした水着が僕に投げつけられ、ドアが荒々しく閉まり、すぐに姉ちやんが激しく泣く聲が聞こえてきた。

     僕は複雜な氣持ちだつた。さつきのパソコン畫面のことを思ひ出すと、自分自身がいやらしいことをされたみたいで、氣分が惡くなる。しかし、姉ちやんがあんな風に泣くなんて、滅多にないことだ。僕も言ひ過ぎてしまつただらうか。

     僕は自分の部屋に歸つて、ベッドに腰掛けた。姉ちやんが買つてきた水着を見てゐる内、とりあへずは着てみようかといふ氣になつた。

     制服を脱いで、ブラを外し、水着のトップを胸に當てる。ブラを着け慣れた爲か、紐ビキニを着るのは簡單だつた。ボトムはちよつとぶかぶかした短パンみたいな感じ、これなら男の子についてゐるアレが目立つことはないだらう。もしかしたら、さういふことを考慮した上の姉ちやんのチョイスだつたのかも知れない。

     水着姿になつた自分を手鏡で見てゐると、部屋に姉ちやんがやつて來た。

    「ゆー、ごめん、入つていい?」

    「ん、大丈夫だよ」

    「…水着似合ふぢやん」

    「さうかなあ?」

     姉ちやんはベッドの端に、僕から少し離れて腰をおろした。

    「ねえ、ゆー。信じてもらへないと思ふけど、聞いてくれる?」

    「何?」

    「さつきのページ、確かにちよつといやらしいけど、ゆーにもつとかはいくなつて欲しくて、ああいふので研究してゐたんだ」

    「ふうん」

    「…やつぱり、信じてゐないね」

    「さういふ譯ぢやないけどさ…」

    「ゆー、あたしのやつてゐることつて、そんなに迷惑?」

     姉ちやんが急に上ずつた聲で言つたので、僕は驚いた。

    「何だよ、いきなり」

    「戀してゐる弟を、姉が應援するのは、いけないことなの?」

     さう言つて、姉ちやんはまた泣きだした。僕は困つてしまつた。

    「ごめん、僕も言ひ過ぎた」

     姉ちやんは顏を上げた。けろつとしてゐて、もう笑つてゐる。

    「それぢや、その水着着て、先輩に告白するね?」

    「それはちよつと考へさせて。さあ、姉ちやんはもう出て」

     僕は姉ちやんを部屋の外に押し出して、ベッドに倒れた。何だか、變に丸め込まれてしまつたやうな氣がする。女の涙なんかあてにならないつてことは、思ひ知つてゐた筈なのに。

     僕は伸びをする感じで手鏡を取り、もう一度自分を映してみた。さつきのいやらしい寫眞と自分の姿がかぶる。鏡の中の僕のはうが、餘程ましに見える。もしかしたら、この姿で部長の氣を引くことが出來るかも知れない。しかし。

    (色仕掛けなんて、なんか嫌だよ…)

     僕は水着を脱いで、普通の女の子服に着替へた。水着をベッドの端に放り出して、僕は考へる。

    (でも結局、僕が部長の前で女の子を通さなければならないのなら、水着も必須アイテムなのかも…)

     考へが堂々巡りしてゐる。僕は迷ひ續けた。あと數日で夏休み、それ迄僕は、こんなもやもやした氣持のままで過ごさなければならないのだらうか…。

  3.  七時前だと言ふのに、夏の日はもう大分高く上つてゐる。夏休みが始まつて間もない日、合宿の朝。僕たちは、JRのK驛の前に集まつた。數年前までは、ここの驛舎は小さな洋館風の建物で、街のシンボルと言はれて人氣だつたのだけれど、今は建て替へられて普通の驛になつてしまつてゐる。

    「遲いですねえ…」

     殿間さんがつぶやいた。一昔前ならば「ランニング」とも言はれてしまひそうなタンクトップにピチピチのデニムの短パン、正直目のやり場に困る姿だ。

    「まあ、氣長に待ちましよ」

     小さく欠伸をして、ペットボトルを傾け乍ら、ふーちやんが言ふ。こちらも、眞つ白で短いワンピース姿、下着迄透けさうな感じ。

     それに引き換へ僕と江古田先輩は何だか地味だ。まあ、先輩は丈の長いサマードレスを大人つぽく着こなしてゐるから見榮えがするけれど、僕はボロを出さないやうにと意識し過ぎた結果、Tシャツに長いジーンズと、ひどく平凡な格好になつてしまつてゐる。

     でも、Tシャツの下には、實は上だけは例のビキニを着てゐる。今日の爲の荷作りをし乍ら、葛藤があつた。結局、肌を晒すことは抵抗があるけど、女の子を押し通す爲なら水着になるのも致し方ないと僕は腹を決めた。胸の膨らみは全然ないけれど、變な小細工をすると却つて不自然になると思つて、パッドとかは使はなかった。

    「あ、あれぢやない?」

     江古田先輩が言つた。見れば、ボロボロのワゴン車が、驛前のロータリーの方からこちらに走つてくる。

    「遲くなつて、申し譯ない」

     僕らの前に停まつたワゴン車から、作務衣姿の有束齋先輩が降りてきて、頭を下げた。

    「本當に申し譯ないだよ。自分で企劃したなら、時間ぐらゐきつちり守つたらどう?」

     また殿間さんが有束齋先輩につつかかる。有束齋先輩は殿間さんを睨んだ。僕はいたたまれなくなつて、やや強引に話題を變へた。

    「あれ?引率の先生とか、ゐないんですか?」

    「これは有志の合宿だ。結果的には部員全員參加になつたが。引率など必要なからう。これは言つてみれば儂のわがままから出た企劃だから、責任を持つて、現地迄運轉させていただかう。さあみんな、乘つた乘つた」

     有束齋先輩に促されて、僕らは車に乘り込んだ。運轉席に有束齋先輩、助手席には部長が既に乘つてゐた。二列目に江古田先輩と殿間さん、僕は一番後ろの席で、ふーちやんと隣り合はせだ。

     それにしても、ジーンズを穿いてきて本當に良かった。車の中が案外狹くて、ふーちやんの、ワンピースから出た太ももが、時々僕に當るのだ。もし僕も足をむき出しにしてゐたら、その度に變に昂奮してしまつてゐただらう。

     外見はボロく、そして狹かつたが、有束齋先輩が乘つてきたワゴン車は冷房だけはよく效いてゐて、なかなか快適だつた。車の中で、僕は先輩に訊ねてみた。

    「先輩、この車はどこから?」

    「家のを借りてきた」

    「有束齋の家、土建業をやつてゐて、車も何臺かあるんだ」

     かう補足したのは、増川部長だ。

    「それにしても、宿のお金とか、本當に先輩持ちで大丈夫なんですか?」

     運轉席についてゐる鏡が、有束齋先輩のにやりと笑つた顏を映し出した。

    「皆、祕密を守れるか?」

    「何よもつたいぶつちやつて。早く言ひなさいよ!」

     じれたやうに、殿間さんが割つて入る。續きは増川部長が受けた。

    「有束齋の作つた茶碗がいくつか賣れたんだ」

    「ええー?」

    「大體三十萬ぐらゐにはなつたかな」

    「す、すごい…」

    「でも、學校の部活で作つたものだらう?それで得た金をどう使へばいいのか、微妙なところだと思はないか?」

    「ああ成程、それで合宿といふことに…」

    「正解よね。普段、有束齋は、全然部に貢獻してゐないんだから」

    「安全の爲に集中してゐる。運轉中は、そんな挑發に乘りはせんぞ」

    「へーんだ」

     殿間さんはむくれて、ポテトチップを頬張りだした。江古田先輩が、少し迷惑さうなそぶりをしてゐる。僕とふーちやんは顏を見合はせた。何故ことあるごとに、殿間さんは、有束齋先輩につつかかるやうなことを言ふんだらう。以前、二人の間に、何かあつたんだらうか…。

     有束齋先輩のなめらかな運轉で、車は中央道、首都高、東金道路を過ぎ、一般道へ。カーナビに表示される田舎道を見乍ら、先輩は車を走らせていく。ヘアピンカーブを何度も曲がつて林を拔けて…その林が切れたところで、キラキラした風景が見え始めた。

    「海だー!」

     僕たちは思はず叫んでしまつた。有束齋先輩が言ふ。

    「もうすぐ宿に着くぞ」

     小さな驛のそばの踏切を通つて、車はもう少し海の方へと進み、古い民家としか思へない建物の前に停まつた。

    「うわあ、宿つてここなの?道理で安さう」

     車から降りて、開口一番、殿間さんが言つた。

    「鄙びた雰圍氣があるとは言へるわね」

     さう言ひ乍ら、江古田さんが、有束齋先輩に流し目を送つた。

    「儂好み、とおつしやりたい譯ですかな?さうなら良かつたのですが、實のところここに決めたのは豫算上の理由からですわい」

     有束齋先輩は、さう言つて、引き戸をからりと開けた。奧から和服を着こなした女将風情のをばさんが出て來て、有束齋先輩はその人に挨拶した。僕らは戸のそばでしばらく待つてゐた。やがて有束齋先輩が振り返つた。

    「各々方、入られよ」

     僕は何だかをかしくてたまらなかつた。先輩つて、時々何だかすごく時代がかつてゐる。

     女将さんの案内で、僕たちはそれぞれの部屋に荷物を置いた。前に豫告のあつた通り、僕は一人部屋だつた。部屋に入つて、ほつとする間もなく、部屋のドアが少々荒々しくノックされた。

    「ゆーちやん、海行かうー。このお宿の裏側が、もう泳げる所だつてー」

     殿間さんが扉越しにさう叫んでゐる。

    「はーい」

     僕はTシャツを脱いで水着姿になり、タオルやら何やらのちよつとした荷物を持つて、扉を開けた。

    「あ…」

     そこには殿間先輩とふーちやんがゐた。二人はそれぞれ、大きなバスタオルで體を覆つてゐる。僕は失敗したと思つた。本當の女の子なら普通、そのぐらゐの用意はしてくるものだ。それに引き換へ僕ときたら、ビキニ姿で宿の廊下に立つてゐる、考へてみたらこれは相當變な圖だ。

    「ゆーちやんたら、大膽…」

     殿間さんが呆れたやうにつぶやいた。ふーちやんもくすくす笑つてゐる。恥づかしくなつた僕は言つた。

    「は、早く行きましよ!」

     僕ら三人は宿を出て海に向かつた。途中で部長も追ひついてきた。

    「おーい」

    「あ、部長!」

    「やつぱり海行くのか。シューなんか相當樂しみにしてゐたものな」

    「うん!ところで、江古田さんは?」

    「あ…車で少し疲れたらしい。宿で休むさうだ」

     僕は一應訊ねてみた。

    「有束齋先輩は、やつぱり…」

    「うん、あいつはすぐに、土を取りに車で出かけたよ」

     そんなことを話してゐるうちに、僕らはもう海に着いてゐた。白い砂濱がどこ迄も續いてゐて、海も青く輝いてゐる。あまり有名な場所でないせゐか、海水浴客も意外と少なかつた。

    「すごーい、プライベートビーチみたーい」

     殿間さんがさう叫んだので、部長は少し笑ひ乍ら返した。

    「プライベートビーチは言ひ過ぎだらう。ほら、あそこで海の家が營業してゐる」

    「もう嫌だ部長、ちよつとは言はせてくださいよう」

     殿間さんとふーちやんはバスタオルを脱いだ。

    (しまつた…)

     その瞬間、僕はさう思つた。かうしてみると、ウチの部の女子は、皆それぞれに、いい。長い髮を器用にまとめて水泳帽に入れてゐるふーちやんは、そのせゐで小顏がさらに際立つてゐるし、殿間さんは競泳水着のやうなものを着てゐるのだが、それでも意外な巨乳だといふことがよく判る。

     僕の股間の男の部分が膨れてきた。何とも言へないやるせない氣持だ、同じ部の女子を見て昂奮してゐる僕が實に情けない上に、あまりに勃起が過ぎると僕が本當は男だといふことがバレてしまひさうだ。

    (どうしよう、どうしよう)

     焦つてゐる僕に、殿間さんが言つた。

    「さあ、ゆーちやん、泳ぎに行きましよ」

    「え?あ、あのつ」

    「何?」

    「實はあたし…カナヅチなんです」

     水に濡れるのが少し怖くて、僕は咄嗟に嘘を言つてしまつた。

    「ふーん、さうなの?さうは見えないけどなあ。それに喜んで海に來てゐるつてのに、變なの。ぢやあいいや、ふーちやんは?」

    「勿論、行きます!」

    「部長は?」

    「ああ、飮み物とか用意しておくから、僕はその後で行かう。ゆーちやん、泳がないんだつたら、ちよつと手傳つてくれ」

    「はい、判りました」

     二人娘は海へと向かつて行つた。これで部長と二人きりになれた、チャンスぢやないか…僕はさう考へて焦つた氣持を落ち着かせようとしたけれど、なかなかもやもやが晴れない。

     部長はそんな僕を知つてか知らずか、レジャーシートを展げて、石で抑へたりしてゐる。ふいに部長が僕を呼んだ。

    「おーい、ゆーちやん」

    「は、はーい…」

    「實はパラソルもレンタルして持つてきてゐるんだ。立てよう。手傳つてくれ」

    「あれ、この長い荷物つて、イーゼルとかぢやなくてパラソルだつたんですか?」

    「ああ、さうさ。えーと…」

     部長は包みを解いて、パラソルを取り出した。その時、部長が手を滑らせて、まだ開いていないパラソルの柄の部分が僕の股間を直撃した。その勢ひの意外な激しさに、僕は激痛を感じて、うづくまつてしまつた。

    「う…痛…」

    「ははは、やつぱりさうか」

     部長が笑ひ乍ら僕を見下ろしてゐる。僕は呻き乍ら言つた。

    「うう、部長…今のはもしかしてわざとですか…?」

    「ああ。今のでそんなに痛がるつてことは、やつぱり君、ついてゐるんだな。前から薄々氣づいていたけど、確かめたかったからさ」

    「ひ、ひどい…部長の意地惡!もしあたしが、本當に女の子だつたら、どうするんですか!とんでもないセクハラですよ!」

    「惡かつた、謝るよ。それに、今は二人だけなんだから、別に男に戻つてもいいぞ」

    「急にさう言はれても…」

     男に戻つてもいいつて言はれたつて、ここでいきなりビキニのブラをはづしりしたらどうなる?もし誰かが見てゐたら、僕は露出狂の變態が決定ぢやないか…。

    「部長、ごめんなさい!このままでゐさせてください」

    「ふーん?何だかをかしいが、ま、君がさうしたいつて言ふならそれでいいや」

     うづくまる僕を横目に、部長は器用にパラソルを設置して、その下に座つた。やうやく股間の痛みが收まつてきたので、僕も部長の隣に寄つていつて、座り直した。部長が僕に言ふ。

    「思ひ出したよ。君は入學式の日、僕がふーちやんを野球部から助けた時にゐた子だよな、確か。あ、だからいつだか、僕が襲はれた時に眞先に野球部の仕業と思つたんだな」

    「さうです。入學式の日には、ああ男らしい人がゐるんだなあ、と思ひました」

    「ふーん、さうかな、僕が男らしいと…」

    「それで美術部に入部したら部長に會へるかな、と思つたんですけど、あまり女の人ばかりだから氣が引けちやつて」

    「だから自分も女にならうと思つた、か?すごい發想の飛躍だな」

    「違ふんです、姉ちやんに相談したら、こんな風にされちやつたんです」

    「すると今迄の君のポーズは君の姉さんの差し金といふ譯か。うーむ、なかなかの手練だ、君の姉さんは」

    「でも、ひどいと思ひません?この水着なんか。姉ちやんの見立てですけど、よりによつてビキニですよ、しかもこんなに小さいの!」

    「でもよく判らないんだが、男がワンピース水着の方がより恥づかしくないか?それに、いいぢやないか、よく似合つてゐるんだから」

    「部長迄…飽く迄からかふつもりですか!」

    「何言つてゐるんだ、本心だよ。て…」

     さう言つて、部長は僕の肩に腕を囘してきた。

    「誰にでも優しすぎる、て、あいつは言ふんだ」

    「あいつつて、江古田さん?」

    「さうだ。なあ、君はどう思ふ。正直なところを聞かせてくれ」

    「でも部長つて、野球部には優しくなかつたみたいですけど?」

    「言ふねえ」

    「あ、濟みません…でも、ウチの部がこんな風にまとまつてゐるのは、部長が優しいから、だとはあたし、ぢやなかつた、僕も思ひます」

    「まとまつてゐるのかなあ、うちの部…」

    「みんなかうして來たぢやないですか?」

    「まあ、それはさうだが…」

    「あー、仲いいんだ。でも部長つたら不用心」

     元氣な聲に顏を上げると、殿間さんが戻つてきてゐた。部長が言ふ。

    「不用心て、何が?」

    「ゆーちやんの方を日陰に入れてあげなくてぁ。燒け過ぎちやひますよ」

    「ふーちやんはどうしてゐるんだ?」

    「や、驚いちやひましたよー。あの子、運動は苦手だし好きぢやないけど、子供の頃スイムに通はされてゐたから、泳ぐのだけは得意なんですつて。まだ泳いでゐます」

    「さうか。なあ、ゆーちやん、ふーちやんを見に行つてみないか?」

    「えつ?」

    「カナヅチだつて言つたけど、淺いところで見てゐる分には大丈夫だらう?」

    「うん、行つて來なよ!荷物は代はつてあたしが見るわ。あ、海の家で、何か買つてこようかしら」

    「食べてばかりだな、シューは」

    「育ち盛りなんですー!」

     舌を出した殿間さんに輕く手を振り、部長が歩きだした。僕もあわててついていく。

     遠くに水しぶきが見えた。そのしぶきの中に、時々ちらりちらりと、スクール水着の紺色が浮かぶ。あれがふーちやんなのか。確かに、さつき殿間さんが教へてくれたやうに、とてもなめらかな泳ぎだ。しかも、あんなに遠く迄。

    「おーい」

     口に手を當てて、部長が叫んだ。ふーちやんはそれに氣づいたのか、一度泳ぎをやめて、僕らに手を振つた。でもすぐにまた、ふーちやんは、水しぶきを立てて泳ぎはじめた。僕と部長とは、その光景を、何となく眺め續けてゐた。