トローチ(正かな版)

トローチ
トローチのざらつきがまだ口の中に殘つたままで電話をかける
サイボーグ手術を受ける日の朝にばかていねいに齒を磨いてゐる
頂上で觀覽車の窗開け放つ瞳の中に光子がいつぱい
四月の野麥は早くも稔つてゐる驅けまわれ風僕の胸にも
幾千の鳥にあざけられる僕のこの足下にあるのも海だ
春風にはげまされても素直にはなれないままに屋上にゐる
子どもらは遊びに飽きてみな歸り砂場の穴に溜まる花びら
掌に魚臭さがこびりつくこの町もいい住めはしないが
丘一面風にあらがふ草はない僕はノイズで滿たされていく
氣がついた君から屆く消息の切手の色はいつも明るい
萬華鏡囘せばこすれあう硝子音が哀しい色も哀しい
むらのある風が隔てるこの僕と淺い流れに踏み入る君とを
エタノールで滿ちたプールに沈んでゐるセクサロイドの設計者たち
君はまるでプロトタイプのロボットだ押してぁいけないスイッチだらけ
地下道の壁一面に書かれてゐる設計圖など見ないで過ぎる
丘の上でただ轟々と鳴つてゐる蒸氣機關に僕はなりたい
飛び乍ら雌をとりあうモンキテフ銀杏の樹より高く昇つた
蛾の羽根によく似た雲が見えてゐた神田で雨に降られた日には
亂雜な言葉に滿ちた街角はつらいからこそトローチを噛む
雨の町急ぐ背廣の彼方から急ブレーキを眞似た歌聲
喩へれば暗い體育倉庫とか俺の心はそつち關係
工具箱なくした僕は優しさの模型をいまだ作れずにゐる
いつだってアンチテーゼの置き場所に困る全然片付かない部屋
窗の外サイレンが行くとりあへずパンの凹みに安心しよう
水槽の深いところにあるいのち月の夜には立ちあがるのか
靴下の形に竝ぶ星たちを見つけた夜に泣くもんぢやない
暗室の赤きあかりをなつかしみ出づるのを待つかのアンタレス
サアカスを見たし土星を引き寄せて轉がすやうなる藝が見まほし
ありつたけ蠅取り紙を吊つたのは浮いた言葉を絡めとるため
トローチに穴のあるわけききたくて僕は受話器を握り直した