ふーちやんの肩越しに、僕は小聲で問ひかけた。
「どう?ふーちやん」
「みんな座つてゐるよ。うふふ、有束齋さんなんか、大分じれてゐるみたい」
「別に、先に始めてしまつていいつて言つておいたのに…」
「でも、パーティやるからつて言つて呼んでおいて、ホストが姿をくらましたら、普通ああなるんぢやないか?」
姉ちやんが僕に言つた。今日はクリスマスイブ、ここは僕らの家。僕とふーちやんとでパーティをする計畫を立て、美術部のみんなを呼んだら、集まつてくれた。で、今どういふ状況かといふと、みんなを應接間に集めたまま、餘興の爲に僕とふーちやんだけ部屋を出て、扉の影からみんなの樣子をうかがつてゐるところだ。
「ぢや、姉ちやん、打ち合はせ通り頼むね」
「一、二、三つて言つたら電氣を點けるんでしよ?任せなさいつて!」
「よし、ふーちやん、行かう!」
姉ちやんが部屋の燈りを消した。
「な、何ぢや?」
柄になく有束齋先輩がうろたへる聲がした。僕とふーちやんは、暗がりの中、こつそり部屋へ忍び込む。
「一、二、三!」
姉ちやんが、僕の合圖で再度電氣を點けてくれたのに合せて、僕とふーちやんはクラッカーを鳴らした。パンパン!
「メリークリスマース!…あ、あれ…?」
呆氣にとられてしまつたのか、みんな靜かだ。絶對に受けるから、といふふーちやんの發案で、僕とふーちやんはお揃ひのミニスカートのサンタ服を着てみたのだが…。
「もしかして、外しちやひましたか?」
「いや、いい!」
有束齋先輩の胴間聲が響く。
「廣田はもちろんいいが、辛夷も實に似合つてゐるではないか」
「あれ、有束齋先輩はかういふのが氣に入らないんぢやないかと思つてゐたけど…」
「ハハ、儂だつて木石ではないぞ。かはいい女の子たち…ではないか、まあひつくるめてかはいいものに食指が動かない譯ではないさ。なあ増川」
「ああ、實に眼福…しかし有束齋、お前、その恰好でその臺詞はアンバランス過ぎるぞ」
「それを言ふか?」
「まあまあ、先輩方、喧嘩しないで。見ればあまり飮みものにも手を付けてゐないぢやないですか。みんな揃つたんだから、あらためて乾杯しませうよ。お姉ちやんもおいでよ」
「おや、お姉樣もご在宅だつたか?」
「ええ、『照明係』やつてもらつたんです」
「今晩はー。裕太郎の姉の、ともゑです」
姉ちやんが、いつもに似合はず靜々と、部屋の中に入つてきた。僕は少しをかしく思つた、みんな姉ちやんより年下なんだから、そんなに氣を使はなくてもいいのに。
今日集まる面々については、あらかじめ僕から姉ちやんに説明してあつたけれど、ぼくはとりあへずみんなを姉ちやんに紹介した。姉ちやんはそれを、靜かに聞いてゐた。
紹介が濟むと、姉ちやんがぽつりと言つた。
「あたし、何だか安心しちやつた」
年の功、と言ふのだらうか、有束齋先輩がそれを受ける。
「安心と言ふと?」
「弟を巡つていろいろあつたさうぢやないですか。でも、かうして皆さん集まつてくれるなんて、あたしも嬉しいです。弟がフラれた…ごめんなさいね、當事者の前でこんなこと言つちやつて…フラれた時に、それでもいい人たちに會へた、女の子になつて良かつたし、美術部も辭めないつて言つたんです。本當だつたんですね、みんないい人」
「もう、お姉ちやん、そんなことはいいからさ」
僕とふーちやんは、皆のグラスを飮み物で滿たした。
「ええと、乾杯の音頭は誰が?」
殿間さんが言ふ。
「それはやつぱり部長でしよ!この部の代表なんだし、春衣先輩が推薦入學を決めたことのお祝ひでもあるんでしよ、このパーティは」
「おや?變だな、僕はこれつて、シューがアートユース特選を取つたことのお祝ひだと思つてゐたんだが…」
部長の言つたことは本當だ。殿間さんは結局、美術部を辭めなかつた。失戀の痛手を紛らはせる爲か、殿間さんは信じられないやうな短期間で繪を一枚描き上げ、それをアートユースに出品して、見事受賞したのだつた。
姉ちやんが提案した。
「差し出がましいやうだけど、めでたいことつていくら重なつてもいいものでしよ?この際、お二人で同時に乾杯なさつたら?」
部長が照れ臭さうに立ち上がつた。
「成程、確かにさうですね。ここは年長者の意見を入れることにしませう」
「ひどーい!あたしだけをばさん扱ひ?」
姉ちやんが膨れる。有束齋先輩が、ふざけたやうにかぶせてきた。
「全くだ、この部には總じて、年長者を敬はない風があるぞ。まあ、それが惡いとは言はないが」
殿間さんも立ち上がつた。
「もう、どうでもいいから、早く乾杯しよう!ほら!」
部長と殿間さんが飮み物を掲げて言ふ。
「乾杯!」
それに合はせて、みんなグラスをぶつけた。乾杯が終つて、僕とふーちやんも座り、みんなと混ざつた。ふーちやんが言ふ。
「ねえねえ皆さん、あたしたち二人、今日はサンタに見えますよね?」
「うん、だから?」
「皆さんにそれぞれプレゼントを用意しました。あたしと、ゆーちやんで、見立ててきたんです」
「ええ、君たちの見立て?大丈夫かなあ」
「ひどいー!見てから言つてくださいよー!まづ、殿間さんにはこれ」
ゆーちやんは、用意の白い大きな袋から、プレゼントを出して殿間さんに手渡した。
「この形は本ね。開けていい?」
「勿論」
包み紙を破いた殿間先輩は、驚いた顏をした。
「…エチャウレン畫集!?こんな本があるんだあ!洋書でしよ、高かつたんぢやないの?」
僕が言ひ譯した。
「いや、あの、實は…ネットで見つけたもので、古本なんですよ」
「さうなんだー。でも嬉しい!ありがたう!」
「あー、良かつたー。ぢや次、有束齋先輩は、もう、これ行けるんぢやないですか?」
「こ、これは…鹿兒島縣の芋燒酎『明るい農村』ではないか!一體、どこで?」
「昭島の方に扱つてゐるお店があるんですよ。お姉ちやんに教へてもらつて」
「素晴しい。早速やつてもよろしいかな?」
「ええ。でも、醉つ拂はないでくださいね。僕もふーちやんも、醉つ拂ひは嫌ひです」
いつものぞんざいな返しが來るかと思つたら、有束齋先輩は、妙に眞面目に應へた。
「十分氣をつける」
先輩は壜の封を切つた。酒の香りにクラッと來乍ら、僕とふーちやんは、部長と春衣さんにプレゼントを渡した。
「部長にはこれを」
「…レターセット、ね」
春衣さんが言つた。僕は取りなすやうに應へた。
「ごめんなさい、もつとお金があれば、だつたんですけど…でも、これでお互ひに、澤山手紙書いてくれれば、と思つたんです。お二人、これから、遠距離戀愛になる譯だから」
部長が苦笑ひした。
「參つたなあ、これで、筑波の受驗、失敗する譯にいかなくなつた…」
「いやー、惡い惡い!遲れちまつた!」
突然窗を開けて入つてきたのはイチキンだ。日吉さんも一緒について來てゐる。
「う、寒!早く入れよ、さうして、練習試合はどうだつたんだ?」
イチキンが口を開くより先に、日吉さんがしやべりはじめた。
「もう、すごかつたのよ!門倉さんは二本もホームランを打つし、新田ちやんはセカンドでいい守備するし…」
「何だよ、俺の完封のことは言つてくれないのかよ…」
イチキンがさう言つて拗ねると、日吉さんはすかさず、
「だつて、そんな當たり前のこと言つても仕方ないぢやない?」
「さうかー」
イチキンが目尻を下げた。有束齋先輩が、作務衣の前をくつろがせて、言つた。
「成程のう、野球部のエースの穴一は辛夷の親友だといふのは聞いてゐる、だから今日も呼んでゐたといふ譯か。それにしても、なあ、辛夷。この部屋、暖房が效き過ぎてをらんか?」
僕は笑ひをこらへ乍ら答へた。
「全くですね。ほら、お二人さん、これでも飮んで頭冷やして」
僕からジュースのコップを受けとつて、イチキンは言ふ。
「サンキュー。でもなあ、頭冷やせつて言ふんだつたら、むしろお前の方だらう。何だよその腦天氣な恰好」
僕はわざと女聲で答へる。
「やだ、金太郎君の爲に着たのに。可愛いでしよ?」
「よせよ、氣持惡ー!」
冗談を飛ばし乍ら、時が過ぎていく。不思議な氣分だ。春衣さんは姉ちやんと何か話し込んでゐるし、殿間さんは實は野球に興味があるのか、イチキンと日吉さんに今日の試合經過についてより詳しく訊ねてゐる風情だ。何だか、やたらと人を寄せ集めてしまつたけれど、みんな樂しんでくれてゐるみたいでとりあへず一安心だ。僕とふーちやんも、ホスト役を少し休んで、腰かけて飲み物をすすつた。
そんな中、有束齋先輩が、おもむろに言ひはじめた。
「皆が集まつたいい機會だから言つておくが…」
「何ですか?改まつて」
「儂は高校を中退する」
「ええー?」
「前に、儂の茶器が賣れた話はしたな」
「はい」
「で、それを見たある陶藝家が、弟子に來ないかと言つてくださつたのでな。京都のはうの方なのだが、この際學校を辭めて、陶藝に專念しようかと」
「え、京都?ぢや甲子園近いぢやないですか。見に來てくださいよ、俺達の試合!それぁ、春は無理かも知れないけど、絶對に夏は」
勢ひよくさう言ひ出したイチキンを、日吉さんがポカリと叩いた。
「痛!」
「バカ!そんな問題ぢやないでせう?それにね、京都から甲子園、そんなに近くないよ!」
有束齋先輩は苦笑ひをしてゐる。殿間さんが、ぽつりと言つた。
「歸つてくるんだよね?」
「勿論だ」
「ふうん、さう。ぢや、許す」
「お前に許されなくとも、儂は行くがな」
ふーちやんが、ふと立ち上がり、殿間さんの所に寄つて、言つた。
「先輩、大丈夫だよ!」
「何が?」
「何でも!」
殿間さんが、淋しさうに笑つた。
「さうかなあ…」
殿間さんと有束齋先輩がこれからどうなるか。それは判らないし、僕たちが立ち入ることが出來る問題でもないやうな氣がする。でも。
「ふーちやんがさう言ふなら、大丈夫ですよ」
「ゆーちやん、本當?」
「彼氏の僕が保證します」
「それが全然あてにならないよね!」
殿間さんは、泣き笑ひの體だつた。有束齋先輩は、じつと杯を見つめてゐる。他のみんなは、困つた樣子で、何も言へないやうだつた。
姉ちやんが時計を見て立ち上がり、部屋の外に出て行つた。部屋の電氣が、ふつ、と消えた。
「今度は何だ?」
有束齋先輩が言ふ。突然空が明るくなり、さう遠くない場所から、ドーンといふ音が聞こえてきた。殿間さんが、思ひ出したやうに叫んだ。
「あ、さうか、今日は記念公園の『冬の花火』!」
「さうなんですよ。ま、夏とは違つてたつた五分間で終つちやふんですけど」
「へえ、ゆーちやんの家、いいところにあるんだなあ…」
部長が立ち上がり、窗を開けた。間近で見ようと思つた爲らしい。寒い風が入つてきたけれど、誰も文句を言はなかつた。
僕とふーちやんも窗へと寄つた。僕はふーちやんに訊ねた。
「肩、寒くない?こんな露出の多いのにしなければ良かつたね」
「ううん、大丈夫」
ふーちやんはさう言つたけれど、僕は彼女の肩を抱いた。氣がつけば、皆が窗に寄り、花火を見上げてゐた。
遠くに去つて行く人がゐる。ここに殘る僕たちがゐる。これから先僕らは、どんな風に變つていくのだらうか。妙に悲しくなつたけれど、今はかうして、隣に確かにふーちやんがゐる。さうさ、それでいいぢやないか…僕は、色とりどりの光の交錯を眺め乍ら、自分にさう言ひ聞かせた。
最後の花火が闇に溶けた。その後の空には、冬の星が、燃え盡きるのを拒否した花火のやうに輝き續けてゐた。