粘着につける藥はないけれど

野嵜健秀さんの運營するブログ「闇黒日記2.0」が、nabetsune2008 と名乘る粘着荒らしの被害を受けてゐます。

野嵜さんの理論によれば「スルー=容認」、つまり惡事を見逃せばその惡事に加擔してゐるも同樣といふことなので、小心者の僕は心苦しい思ひをしてきました。

根據のない惡口が延々とくり返されるといふ點で、「粘着」は「いぢめ」に似てゐます。しかし「粘着」は、その發した言葉が、少なくとも當面の間はweb上に殘つてゐるといふ特質があります。そこで、闇黒日記2.0にnabetsune2008が書き込んだコメントをコピー/ペーストし、このページを作製してみました。

このページは、粘着の物言ひのサンプルとして作製したものです。もしあなたがwebページまたはブログ等の作成者・管理者であり、自らの運營するブログ・掲示板に以下のやうな書き込みがあつた場合は、削除等のそれなりの處置をとつてくださいますやうお願ひいたします。ひどい場合には、インターネットサービスプロバイダに通報するのもひとつの手ではありませう。

「文は人なり」といふ言葉は必ずしもいつも的を射てゐるとは限りません。しかし、以下にサンプルをお見せするやうなおぞましい文章は、書かうと思つてなかなか書けるものではなく、書いた者の異常性を如實に示すものと言へませう。

2008年5月17日の記事「喜六郎等は俺に自殺しろとでも言ひたい訣?」に付けられたコメント

労働は、義務ですよ。憲法にも書いてあるでしょう。

無職は、外道ですよ。

お前が、働かないのは、傲慢、無気力、腹黒いからである。

ブログで、ぺちゃらぺちゃら。

やっていることといったら、神保町で写真をとること。

親の金を計算して、悠々自適。

お前は、人間の屑である。欲望のまま過ごす犬猫の類であろう。

もはや、お前は死んだも同然。

いまさら、本当に死んでどうする。

まず、神社に行って、排便をして、腹の中を綺麗にしなさい。

次に、喜六郎殿に弟子入りして、人生の意味を学びなさい。

(一應僕の感想)まづ、野嵜さんは少なくとも過去には働いてゐたことが確かですし、現在もどうも何らかの仕事をしてゐるらしい(それが何かははつきり判らないのですが)ので、「お前が働かないのは」云々は的外れな決めつけです。また「無職は外道ですよ」といふ斷言は、現在職を求めてゐるのに得られてゐない人々にとつてはあまりに冷酷な言葉です。

2008年5月18日の記事「俺は馬鹿だから反省しない」に付けられたコメント

お前は、本当に救いようのない馬鹿だな。

お前がいくら、許しを請うても、

所詮は、神社で排便をしてまわるドブねずみなのだ。

死して屍、拾う者なし。

誰が、お前の出任せを聞くと思っているのだ。

猿のように、自慰に耽って、全く情けない。

暇な時に、我々が相手にしてやっていることに、感謝しなさい。

お前は、人生を誤ったのだ。

もう、取り返しは効かない。

薄汚く、他人に物欲しげな視線を送る鬼畜以下なのである。

(一應僕の感想)途中に「死して屍拾う者なし」といふ人口に膾炙した決め科白(「必殺シリーズ」だつたかな?)といふ一文が挾まつてゐるせゐで、本氣感が薄まつてしまつてゐます。遊びで人を揶揄するのは、良くないことです。

それにしてもひとつ疑問なのは、Yahoo!のブログは規制が嚴しいらしいのですが、このやうなコメントは簡單に付けられるものなんでせうかね?