碍子

 友人、宗の話である。

 宗は素人カメラマンとしてかなりの腕前だ。寫眞の專門誌で彼は何度も金賞をとつてゐる。ある年、彼は秋に休暇をとり、紅葉を撮りに山へ向かつた。

 車を降りて、機材をかつぎ、彼は前から目當てにしてゐた場所に行つた。

 ところが、いざその場所に着いてみて、彼は驚いた。彼が前にそこに來たときには、谷向かうの山肌の木々が大パノラマを展開してゐたのだが、いつのまにか谷には巨大な變電設備ができてゐたのだ。骨のやうな碍子の林立する光景が木々を覆い隱し、彼の當てはまつたくはづれてしまつたといつてよかった。彼は憤慨した。彼はその場所で寫眞を撮ることをあきらめ、もう少し山奧へと歩を進めた。

 しかし、いつたんそがれた氣分は、その日に限つてなかなかもとに戻らなかつた。彼はこれはと思ふ所に何囘か三脚を立ててはみたが、ファインダを覗いた途端、風景が色あせてしまふ。結局、彼は二、三枚寫眞を撮つただけでその日の撮影自體をあきらめてしまつた。

 ろくに撮影しなかつたが、豫定より遠くまで行つたため歸りは遲くなり、撮影をあきらめた場所に戻つた時には夕暮れになつてゐた。

 そこで彼は信じられないものを見た。變電施設が、夕燒けの光をあびて、美しく輝いてゐるのだ。――それだけではない。碍子には昆虫のやうな生物が群がり、七色の光を明滅させてゐる。あふれんばかりの光は、周圍の木の葉に反射し、そこ一帶を不思議な夜光都市のやうに浮かびあがらせてゐた。

 宗はあわててカメラを用意し、その光景を撮影した。

 宗は僕に寫眞を見せながら、以上のやうな經緯を話してくれた。やはり彼の寫眞の腕は確かだ。印畫紙の上に定着された、光の群れ飛ぶ光景は非常に美しい。

「それにしても、自然派の君がこんな寫眞を撮るなんて意外だね」

 僕は彼に聞いた。

「そこなんだけど、僕はこれは自然現象ぢやないかと思ふんだ」

 宗はさう答へた。僕は驚き、さう思ふ理由をたづねた。

「次の日、氣を取り直してまたそこに行つたら、變電所がないんだよ。おかげで撮影ははかどつたけれど、なんか妙な氣がしたんだ。それで、電力會社に問ひ合はせたら、そこに變電所など建ててはゐないと言ふんだな。となれば、これも一種の自然現象と考へられる」

「でも、自然物が人工物に似て、一體何の得があるといふのだらう……?」

「さあ、その理由は僕にもまつたく見當はつかないけれど……。でも、自然は氣まぐれだし、その美しさは本質的には僕らにはまつたく關係のないものだからね。誰も見てゐなくても、花は花だ。僕が見たこの光景も、さういふ花と同じやうな、ただそれだけのものなのかも知れないよ……」


※この作品は、雜誌「詩とメルヘン」1994年11月號に掲載されました。掲載時の題名「變電所」を改題し、表記を正字正かなにあらためました。