獸帶研磨顛末記

 彼は銀行に勤めてゐます。融資の相談を受け付ける仕事をしてゐる彼は、新入社員だつた折り、上司に言はれました。

「私たちの仕事は信用が大事です。ですから、給料の許す限り、一流品を持つやうにしなさい」

 その言葉を守つて、彼は身の囘りの品を少しづつ買ひ足していきました。學生の頃には服裝に気を配るといふこともなかつた彼でしたが、實際にいいネクタイ、いいベルトを着けてみると、氣持ちに張りが出て、仕事もうまく運ぶやうな氣がしてきました。特に彼がこだはつたのが腕時計です。正確な時計を持つてゐることは仕事の上でも重要でしたし、ちよつと凝つた時計を着けてゐると、相手先とそこから話がほぐれて交渉がうまくまとまるといふこともあつたからです。そこで彼は、今持つてゐる四個の腕時計のほかに、機會があつたらこれからもその蒐集を増やしていきたいと考へてゐました。

 ある日、彼が出勤すると、机の上に新聞が置かれてゐました。展げられた紙面の下の方に「時計見本市」の廣告が出てゐることに彼は氣づきました。

 彼がそれを眺めてゐると、机の向かうの同僚が顏を上げて、話しかけてきました。

「君なら興味があると思つたんだ」

「ああ、ありがたう。行つてみるよ」

 同僚は微笑んで、机に向かつて仕事をはじめました。彼は、見本市の日付を手帳に書き込みました。

 休みの日、彼は港の近くの國際展示場で行なはれてゐる「時計見本市」に行つてみました。仕事柄、世の中の流れの一端を見る爲に、この手の催しに彼は何度か來てゐましたが、時計に關はるものは今囘がはじめてです。いろんな會社が區劃を借りて、それぞれ趣向を凝らした展示をしてゐるのは、他の商品の見本市と共通してゐましたが、一方で時計といふのは、技術・服飾・寶飾・スポーツ・インテリアなど、多分野にまつはる商品です。その爲會場には、厚い眼鏡の奧に眞劍なまなざしを光らせた技術者風の人や賣れ筋商品を探しに來たと覺しきビジネスマン、トレーニングウェアを着込んだスポーツマンや映畫俳優のやうに着飾つた人など、樣々なお客がゐました。そんな多樣な客層に合はせて、區劃の方も傳統を打ち出したものから流行の先端をうたふもの、眞面目なものから遊び心滿載のものまでいろいろと特色を出してをり、それによつて會場の中にはまるでオーパルをちりばめたやうなきらびやかさがあふれてゐました。彼はそのきらびやかさに陶醉し、寶石を多用した時計の値段にびつくりし、最新技術を搭載した時計の正確さに感心し乍ら、會場内を歩き囘つてゐました。

 さうしてゐるうちに、彼は會場の隅で一つの奇妙な區劃に行き當たりました。派手に飾り付けられてゐる區劃が多い中、そこには大きなゴチック書體で「落選品コーナー」と書かれた厚紙製の簡易看板が掲げられてゐるだけです。區劃そのものも看板と同じく簡單なもので、硝子張りの陳列棚がいくつか無造作に置かれてゐるのみでした。その地味さ加減が、彼には妙に氣になりました。大體「落選品コーナー」とあるけれど、いつたい何に落選したんだらう? それを確かめようと、彼は區劃の中に足を踏み入れました。

 彼が區劃の中に入ると、番をしてゐた男が奧の方から立ち上がり、彼に寄つてきて會釋をしました。細身の仕立ての明るい色の背廣を着込み、にこやかであり乍ら、微妙な着崩れ具合と櫛の入れ方がおざなりな頭髮とが先刻ドッグレースですつてきたばかりといつたやうな少し荒んだ感じを見せてゐるその男に、彼は訊ねてみました。

「『落選品コーナー』といふのは、どういふことですか?」

「好事家のお金持ちがゐまして、」と男は答へました。「黄道十二宮――星占ひに出てくる、魚座などの十二の星座――を意匠に取り入れた時計を時計師たちに作らせ、品評會を行なひました。ここでは、その品評會に落選した時計を展示・販賣してゐるといふ譯です」

 その説明を受けて、彼は區劃内を一通り巡つてみました。文字盤いつぱいにアール・デコ調の十二宮の象徴圖が描かれてゐるものや、ムーン・フェイズと似たやうな仕掛けで文字盤の小窗に今空にある星座が示されるものなど、なぜ落選したのか判らない程にどの時計も素晴らしいものです。餘程基準の高い品評會だつたのだらうと、彼は感心しきりでしたが、陳列棚巡りも終はりにさしかかつた頃に、彼は妙な腕時計を發見しました。

 妙といつても、別に奇拔な意匠が施されてゐたといふ譯ではありません。話はむしろ逆で、その時計は全くもつて簡素なものでした。それこそ只の金屬製の「針」でしかない時針・分針・秒針。ローマ數字を刻んだクリーム色の文字盤も保守的な作りで、書體が工夫されてゐる譯でも、寶石が嵌め込まれてゐる譯でもありません。をかしなことには、そんな地味な時計の、全く同じものが十二個、肉の厚い天鵞絨を張つた箱の中に納められてゐるのです。

「十二宮を意匠に使はなければならないといふ決まりでしたから」と、いつの間にか彼のそばに來てゐた店番の男が言ひました。「これは即刻落選になりました。『十二宮』を『十二個』と勘違ひしたのでせうか。機械式の手卷き時計、精度もそこそこだといふのに、審査規定をうつかり無視したせゐで二束三文の扱ひです」

 しかし彼は、今まで豪華な時計をたつぷり見てきた後でしたので、このあつさりした時計が妙に氣に入つてきました。そこで、思ひ切つて訊ねてみました。

「同じ時計が十二個もあるのですから、一個ならかなりお値打ちで買へるんぢやないんですか?」

 彼の質問に、店番の男は、困つたやうに微笑み乍ら答へました。

「ところが、この時計については制作者側から變な條件がありましてね。十二個一揃ひでなければ賣つてくれるな、といふのですよ」

「それは確かに變だ。同じ時計を十二個も買ふといふのはいささか醉狂なことだし、大體それでは塵も積もればで、相當の値段になつてしまふでせう」

「そう思はれるでせう? ところがですね……」

 店番の男はやにはに算盤を取り上げ、ぱちぱちと彈き、彼の前に突き出しました。彼は一瞬、目を疑ひました。算盤の上に示されてゐる數は、確かに少々高めではありましたが、彼の豫想を一桁下囘つてゐたからです。彼は自分でも氣がつかぬ間に、背廣の内ポケットから紙入れをつかみ出し、「割賦でいいですか?」と口走つてゐました。

 またある日、彼が出勤すると、机の上に新聞が再び置かれてゐました。展げられた紙面を見ると、こんな廣告が出てゐます。

「過日の『時計見本市』にて十二個一組の時計を購入された紳士は、當商會迄來店されたし。輸入寶飾・時計專門 マイカ商會」

 彼がそれを眺めてゐると、机の向かうの同僚が、今度は心配さうに話しかけてきました。

「前に話を聞いたやうな氣がするんだが、それ君ぢやないのか?」

「ああ、どうやらさうらしい。しかしどういふことなんだらうな」

「どうも心配なんだ。君の買つた時計が、贋作だか盗品だかは知らないが、何か問題があつたんぢやないか?」

 同僚にさう言はれて、彼も不安になつてしまひました。彼は廣告を切り拔いて、手帳にはさみました。

 彼の職場の銀行支店から地下鐵で半時間程行つたところに、骨董を扱ふ店が竝んでゐることで有名な坂があります。「マイカ商會」は、そんな通りの一角にありました。同僚から新聞廣告を見せられた數日後、仕事を終へた彼は、マイカ商會の建物の前に立ちました。商會は、それほど店構へが大きいといふ譯ではありませんでしたが、硝子扉に金文字で社名が書かれてゐる樣子はいかめしく、それを見た彼は扉の反射を利用して思はずネクタイを締め直しました。

 受付に來意を告げると、彼はすぐに社長室に通されました。扱ふ商品はどちらかといふと贅澤品の部類に入りますが、經費削減の爲でせうか、室内の調度は彼が想像してゐたよりもずつと質素でした。灰色の壁紙には、よく見ないとそれと判らない程薄い調子で蔦が描かれ、その壁に接して鐵製の書類棚が澤山設置してあります。部屋の中央から少し窗に寄つた邊りに、普通一般に事務机に使はれてゐるのとさう變はらない木の机が置かれ、その机の向かう側にマイカ商會の社長が腰掛けてゐました。社長の風貌は、外國の品を扱ふ商人にありがちの、彫りの深い顏、大きくてよく動く目を備へてゐました。外出時には缺かせない筈の山高帽は、年季の入つた、それでゐて丁寧にブラシがかけられたものが、帽子掛けに無造作に掛けられてゐました。ただ、その顏を飾るあご鬚が――なかなか立派なものでしたが――割と短く整へられてゐるのが意外でした。

 社長は椅子から立ち上がり、彼に言ひました。

「これはこれは、わざわざご足勞いただいて恐縮です。さあ、どうぞお掛けください」

 社長にすすめられた椅子に落ち着いたところで、彼は訊ねました。

「私をお呼びになつたのはどういふ理由なのでせうか? お申し付けの通り、例の時計を持參しましたが……」

「ああ、どうもありがたうございます。私はその時計の、本當の價値を識つてゐます」

 やはり來たか、と彼は思ひました。時計はただ同然の代物か、もしくはこの商會から無斷で持ち出されたいはくつきのものか……前者なら彼は大損をしたことになりますし、後者なら彼は速やかにもとの所有者に時計を返さなければなりません。彼の背中を冷汗が流れました。

 しかしマイカ商會の社長は、それから意外な行動をとりました。社長は壁際の金屬製の書類棚から二枚の紙を取り出し、机の上に置きました。彼がそれを見てみると、一枚は契約書の類で、十二個の時計の所有權を相當の對價によつてマイカ商會に完全に讓渡する旨が記されたもの。讓渡する側が署名すべき欄が、白紙のまま空けられてゐます。もう一方は小切手で、それこそ高級車が一臺買へる程の額面が記入されてゐます。

 彼はびつくりして、マイカ商會の社長を見つめました。社長は言ひました。

「さう、その時計にはその小切手に記載されてゐる額面分の價値があるのです。私はその額で、時計を買ひ取りたいのです。いかがでせうか?」

 彼は目も眩みさうな思ひでした。しばらくは、汗をかき乍ら、彼は何も言へませんでしたが、突然上司の言葉が彼の頭の中で閃きました。

「取引は誠實に行なひなさい。好條件のときでも、舞ひ上がつてはならない。何故そのやうな好條件なのか、相手に質してみることです」

 彼はそして大きく息をつき、マイカ商會の社長に言ひました。

「失禮ですが、私がこの時計を購入したときの價格と、この小切手に記載されてゐる額面とでは、大きな開きがあります。小切手の方がずつと多額です。この時計にそれだけの値打ちがあるのかどうかわきまへてからでなければ、このやうな高い値段でお讓りする譯にはいかないのですが……」

 マイカ商會の社長は一瞬眉を寄せましたが、すぐに柔和な顏に戻つてうなづきました。

「成程、賢明ですな。銀行にお勤めになつていらつしやるので? いつかおうかがひしたいものです、運用でいくつか懸案があるので……いや、これはまた別の話でしたな、失禮しました。では證據をお見せしませう。しかしその爲には、時計の裏蓋を開けることが必要です」

「さうですか? ならこれから時計店までご同道いたしませうか」

「いや、それには及びません。これをご覽なさい」さう言つて社長は、書類棚から今度は木箱を取り出しました。社長がその箱を開けると、中には小さな工具が竝んでゐました。

 社長は彼を見て、微笑し乍ら言ひました。

「まあ、そんな怪訝な顏をなさらないで。裏蓋を開けるだけです。仕事柄、これには經驗があるのですから、どうか私を信用していただきたい」

 うながされて彼は、十二個の腕時計をおそるおそる社長に渡しました。社長は腕時計を受け取ると、大きなハンカチで頭を包んで頭巾のやうにし、工具を取つてものすごい勢ひで時計の裏蓋を開けはじめました。成程、あご鬚を長くしてゐないのはこのとき邪魔にならないやうにする爲か――作業のあまりの手際の良さに呆氣にとられ乍ら、彼はぼんやりとそんなことを考へてゐました。社長は全ての時計の裏蓋をものの五分で開けてしまひ、それらの時計を布を張つた板の上に愼重に竝べると、彼の方に差し出しました。

 彼は腕時計の中の機械を見るのははじめてではありませんでした。件の時計見本市でも中味が透けて見えるやうに硝子やアクリルを採用して作られた時計は多數出品されてゐましたし、時計屋の店先に機械を晒した時計が客引きのために飾られてゐるのも珍しくない光景です。それでもやはり、小さくて、異形の植物の一片を思はせる不思議な形の金屬板・齒車・ぜんまい・ネヂの集積體たる時計の中味を見るのはうつとりするやうな體驗です。ごく薄い油膜に包まれたやうに光る齒車たちは、滑らかに噛み合ふやうに丁寧に研磨されたことを物語つてゐました。齒車を支へる軸受には、摩耗を防ぐために寶石を用ゐるのが普通で、この時計の中にも小さな石が隨所に配置されてゐましたが、どういふ理由か赤いルビーと青いサファイアとが使ひ分けられてゐます。それらの石は、僕らは一ミリ以下の小さいもの、しかも人造ではあるが、それでも確かに寶石なのだと力一杯主張してゐました。――しかし、反對にかうも言へるのです、時計の中にかういつた繊細な裝置が仕組まれてゐるのは當たり前のことで、これをもつて直ちにあの法外な價格に結び付ける譯にはいかないと。熱を出した人のやうな、社長の輝く眼は、「どうです、これでお判りでせう?」と無言で訴へかけてくるかのやうでしたが、彼はかう言はざるを得ませんでした。

「恐れ入りますが、やはり私には解しかねます……」

 社長は怒つたやうな目つきになりましたが、やおら額を叩きました。

「やや、これは失敬! 誰もが星座圖に詳しい譯ではありませんものね、さう、これと見比べれば納得していただけるでせう」

 そう言つて社長は、今度は一冊の本を出してきました。それはポケット判の星座案内で、社長はそれをめくると、ここだ、と小さく呟いて、頁を開いて彼に手渡しました。妙に思ひ乍らその本の頁と時計の中味を見比べて、彼は急にあつと聲をあげました。

「判りました! ……軸受けの石の配置が、黄道十二宮の星座の星の配置と合はせてあるんですね!」

 それぞれの時計の中味は一寸見にはみな同じやうに思へましたが、良く見ると齒車を支へてゐる軸受の位置がそれぞれの機械ごとにみな異なつてゐることに彼は氣づきました。そしてその軸受の配置は、社長が見せてくれた星座圖の星々の配置とぴたりと一致してゐたのです。軸受に色の違ふ石が數種類使はれてゐる理由も、これで讀めました。星の色と等級に、石の方も合はせてあるのでした。

 彼の解答を受けて、社長が言ひました。

「そのとほりです。ですからこの時計は、決して審査規定を無視してゐる譯ではない。むしろ優勝してもをかしくない品です」

「このことをどうしてつきとめられたんですか?」

「品評會のとき作られたカタログを、偶然見る機會があつたんですよ。十二個一揃ひ、といふところでまずピンときて、時計の裏側の寫眞を見て確信しました。例へば、これですね……」

 社長はさう言ひ乍ら、裏蓋の一つを取り、彼に見せました。

「ここに『Cap』と刻印してあるでせう」

「ええ、さうですね。あれ、でも腕時計と帽子(キャップ)に何の關係があるんでせうね?」

「いや、これは星座の略稱記號といふものなんです。この場合カプリコーン、『山羊座』の略といふ譯ですな」

 彼は少しびつくりして訊ねました。

「そのやうな知識をどのやうにして身に付けられたんです?」

 社長は、大袈裟に兩手を展げて、茶目つぽい感じで答へました。

「私どものやうな仕事をしてゐると、同業にかつぎ屋が多くてねえ……。今日の星の運氣はどうだかうだと聞かされてゐるうちに、自然にいろいろと覺えてしまつたんですよ。まあ私自身は、星占ひなんかこれつぽつちも信じてはゐないんですが、むしろ星や星座自體の方に興味が出てきてしまひまして。占星のみを追ひかけてゐる人は、むしろこんな略稱記號のことなどは識らないでゐるでせうね」

「このことを、何故、誰も見拔けなかつたんでせうか?」

「思ひ込みの怖さだと、私は推測してゐます。星座の名前もしくは記號が表の文字盤に明記されてゐるならまだしも、裏蓋の刻印、しかも一般にはなじみの薄い略記號でそれぞれの星座が示されてゐるのですから、時計の中に星座が隱されてゐるのが氣づかれなくても仕方がなかつたかも知れません。しかも、十二個の時計はデザインが全く同一なのですから、量産品をまとめて出品したのだと思はれてしまつたといふのもありうることです。おそらく時計師の方でも、何か説明をするつもりだつたんでせうが、申し込みのときにその説明の書き付けをうつかりして用意し忘れてしまつたか、または審査のときに手違ひでその説明が紛失されてしまつたのか……そこのところは、はつきりとは判りませんが」

 さう言ひ乍ら、社長は時計の裏蓋を嵌め直し、頭巾を取つて言ひました。

「では、證據もお見せしたことですし、書類にご署名願ひませうか」

「いいえ。この値段では、お賣りすることは出來ません」

 社長は一瞬目を丸くした後、悲しさうに言ひました。

「さうですね、これだけの逸品ならば、どんなに金を積まれても手放したくないといふ氣持ちも、判らない譯では……」

「いや、さういふつもりでお斷りするのではないのです」

「何ですと?」

「私自身は、この時計の價値を見拔けなかつた。私がこの時計を安く手に入れたのは、單に運が良かつただけのことなのですから、このやうな形で利鞘を得るのは不誠實なことのやうに私には思へます。ですから、私は、私が買つたときと同額でこの時計をお讓りしたいと思ふのです」

 ほんの一寸の沈黙の後、社長は机の上の小切手を破り捨て、小切手帳を取り出し、彼から聞いたもつと小さな額の小切手を作り直すと、彼にそれを渡しました。彼はそれを確認すると、讓渡契約の書類に署名し、社長に戻しました。

「どうもありがたうございました」

 社長はさう言ひ乍ら立ち上がり、彼に握手を求めてきました。この業界ではかういふ商習慣なのかな、と思ひ乍ら、彼は社長の差し伸べた手を取りました。強く握り返してくる社長の手は、仄かに暖かでした。

「小包です」

 休みの日、彼の部屋の扉を叩く人がゐました。彼が出てみると、「落とすな」「精密機械」などと書かれた小貼紙がやたらと貼られた包みを携へて、郵便屋さんが立つてゐました。

 彼は郵便屋さんから荷物を受け取り、部屋の中に戻つて、早速荷物を開けはじめました。荷物は幅五十センチ程の大きなものでしたが、開けてみるとその中味のほとんどが衝撃吸収用の詰め物の類で、それらを取りのけ取りのけしてゐるうちに、たつぷり十分は過ぎてしまひました。そしてやうやく出てきたのは、ニスの光る木箱と、分厚い封筒です。この箱には見覺えがあるな、と思つた彼は、まづそれを開けてみました。

 果たしてその中には、先日マイカ商會に賣り渡した筈の十二個の時計が一揃ひ入つてゐました。彼は怪訝に思ひました。何故今更送り返してきたんだらう? 彼は時計を一個手に取りました。何げなく裏返してみると、所謂スケルトン仕樣といふやつで、裏蓋にも硝子が嵌められてをり、中の機械が見えるやうになつてゐました。彼が取つたのは「蠍座」でした。彼は驚き、更に不思議に感じました。こんな凝つた細工をした上に送り返してくるなんて、一體どういふ了見なんだらう? さうだ、封筒の中味を見れば、その理由が判るかも知れない……。

 封筒の中には、マイカ商會の社長の祕書の手によつてぎつしりとタイプされた手紙が入つてゐました。そこには樣々なことが書かれてゐました。彼が「時計見本市」で出會つた一癖ありさうな時計商は、變はつた品を變はつたやり方で賣ることを信條としてゐる人物だといふことが後の調べで判つたこと。十二個の時計を作つた時計師は、品評會への參加申し込み直後に急逝してゐたこと。マイカ商會の社長は十二個の時計を持つて、品評會を催した好事家のお金持ちに直接かけあひ、その價値を認めさせた上で、相當の價格で賣却したこと。そして、彼に送られてきた時計は、そのときの利益の一部で作られたレプリカであるといふこと……。

 豪氣な商賣もあつたもんだ、と彼は思ひました。彼は十二個全ての時計のネヂを卷き、時刻を合はせて、裏返しました。その光景はまるで、小さな宇宙が、ささやかな軋り音をたて乍ら健氣に囘つてゐるかのやうです。このもとの時計を作つた時計師の氣持ちはどんなだつたらう、それを推し量るには、僕も星座を識らなければならないな……時計を眺め乍ら、彼はそんな風に思つたのでした。