何故「正字正かな」を使用するか

私が文章の表記を「正字正かな」に切り替へようと思つたきつかけは、ひとへに短歌と出會つたことにあります。

勿論、私は文語を使ひこなす素養がないので、專ら口語で短歌を作つてきました。當然、表記も、使ひ慣れた新字新かなを用ゐました。しかしやはり、短歌を詠み出すと、參考のために昔の秀歌に目を通すことになり、それらの歌には正字正かなが用ゐられてゐるため、私は自然と正字正かなに慣れていきました。またその作業と竝行して、池田俊二さんの「日本語を知らない俳人たち」、萩野貞樹さんの「旧かなと親しむ」といふ本に出會ひ、文語は正かなづかいひを用ゐて表記しないと意味が取れなくなつてしまふことを知りました。また、池田さんの本からの流れで、福田恆存さんの「私の國語教室」を讀み、戰後の國語改革の名の下告示された所謂「新かなづかい」――現在普通に使はれてゐるかなづかひです――が、性急に定められた杜撰で不合理なものであるといふことを知り、逆に言へば「舊かなづかひ」が、日本語の表記法として合理的なものであり、また口語も「舊かなづかひ」で書き表すことができる、といふことをも知りました。「舊かなづかひ」こそが、日本語の表記法として正統なものである、それこそが「正かなづかひ」であるといふことに、私は「私の國語教室」を讀んで、納得がいつた譯です。そして探してみれば、野嵜健秀さんのウェブサイト「言葉 言葉 言葉」をはじめとして、正かなづかひを用ゐて作られてゐるウェブサイトも多々あり、私は意を強くし、また納得したのならば自分でも實行しなければと思ひ、まづは自分のブログの表記からでも正かなづかひに切り替へよう、と思ひ立ちました。2006年6月のことでした。

しかしそれでも私は、所謂「舊漢字」を用ゐることには、まだ氣乘りがしませんでした。むしろ「舊漢字」に對しては冷淡だつた、とさへ言へます。一DTP屋として、私はかつて人名を大量に處理する仕事をしたことがあり、その際に頻繁に出くはす「舊字」に泣かされた經驗があります。何で今更こんな難しい漢字を使ふんだらう、新しい文字のはうが、劃數も少なくて簡單なんだし、大體みんな新しい漢字を使つてゐるんだから、そつちのはうに合はせるのが當然なんぢやないかなあ、と、その仕事をし乍ら私は思つてゐました。そんな經驗もあり、私は「舊字」に對して、漠然とした面倒臭さのやうなものを感じてゐました。

当用漢字→常用漢字における、「仏払沸」「独濁」といつた字體の不統一問題については、何かを通して知つてはゐました(何で知つたのか、今はちよつと思ひ出せません。丸谷才一さんの「日本語のために」かと思つてゐましたが、どうやら違ふやうです)。しかし、さういふ字體として定着してしまつたのなら、それは仕方ないだらうといふ考へで、私はつまり大勢順應派だつた譯です。しかし、正字正かなの書き物にいろいろと觸れるにつれて、やはりここは考へ直すべきかも、と私は思ひはじめました。

そこで私は、「常用漢字表」をインターネットでダウンロードし、漢和辭典を引いて、いちいちの文字について「舊字體」を調べる、といふ作業をしてみました。會社の空き時間、會社に備へ付けの漢和辭典でこれをやつてゐて、「缶」といふ字にさしかかつたとき、私は驚きました。「缶」は正しくは「罐」で、「觀」「勸」「歡」等の字から類推できるやうに、旁(つくり)の部分が音「カン」を現してゐます。「缶」は「フ」と讀み、言はば「罐」とは別の字だつたのです。

今、私の手元にある漢和辭典は角川の「新字源」一四七版ですが、音訓索引で「缶」を「カン」で引くことすらできません(上記の事情を考へれば、むしろそのはうが當然と言へるかも知れません)。私は譯が判らなくなりました。古來、漢字の成り立ちとしては「六書」といふことが言はれてゐて、「指事」(抽象概念の圖形化、「上」「下」など)・「象形」(物の形を寫したもの、「日」「月」など)・「會意」(指事・象形を複數組み合はせてひとつの概念を現したもの、「林」「北」など)・「形聲」(意味を現す部分と音を現す部分の組み合はせ、「江」など。つまり「罐」も形聲文字です)・「轉注」(言葉の意味の變化により文字の意味も變はつたもの)・「假借」(文字の使用法のひとつで一種のあて字)といつた六つの造字方法が傳へられてゐます(「轉注」「假借」については、解釋に必ずしも定説がないのださうです)。このでんでいくと、「缶」を「カン」と讀ませるのは、はたして何なのでせう?強ひて言へば「假借」なのでせうが、あまりにも無理がありすぎないか。同系統の文字との整合性を考慮して、少なくとも「「罐」の混淆新字體イメージ、「缶」偏に「観」の左部分」といふ字體にしなければならなかつたのではないだらうか……。

この「缶」事件の衝撃があまりにも大きかつた、といふより、單に面倒臭くなつてしまつて、自分の手で常用漢字表を舊字表に復元するといふ作業は途中で放棄してしまひました。しかし私は、このことをきつかけに、自分でも出來る限り舊字體を使つていくことにしようと決めました。新しい漢字の字體には、何か「まやかし」がありさうだ、といふことが、體驗を通して實感出來たからです。また、漢字の字體は樣々あり、誰かが「これが正しい」と決めなければ「正字」などといふことは出來ないんぢやないだらうか、と思つて使ふことをはばかつてゐた「正字」といふ用語も、「傳統的に使はれてきた正統性のある漢字」といふ解釋で、得心がいきました。ブログのみならず、各所への投歌も、(出來る限り)「正字正かな」に切り替へたのは、大體2006年7月下旬頃のことです。

勿論「正字」に切り替へるといつても、さう簡單ではなく、これからも勘違ひや間違ひをいろいろやらかすことでせう。またPCで打ち込む場合には、文字コードの制約もあり、完全に正字にすることは不可能、といふこともあります(上記でカッコして出來る限りと入れたのは、さういつた意味も含ませてのことです)。ここはまあ、長い目で、勉強したり工夫したりし乍ら、徐々に整へていかうと考へてゐるところです。

さて最後になりましたが、正字正かなに切り替へた私が、何故かつての自作の短歌作品を新字新かなのまま、修正することなく掲載してゐるのかについて少し述べます。理由は以下の三つです。

●(いちばん恥づかしい理由)修正するのが面倒だつた。

●日本語表記について、考へが足りなかつた頃の自分を、あへて「晒して」おかうと思つた。このやうに文章にまとめることでだんだん忘れかけてきてゐますが、自分もかつては正字正かなの文章を見て「何だか氣持惡いなあ、右翼の文章かしら?」と思つてゐた者です。しかし人は、特に論理的に説得された場合、考へを變へることもありうるものです。サイト内表記の不統一は、考へを變へた痕跡として、とりあへずご覽いただければ、と思ひます。

●これからの話になりますが、今後私が各所に投歌した短歌をまとめてページ化する際には、あるところから突然正字正かなに表記が切り替はることになるでせう。短歌に興味がある方には、その際、表記は變はつても、着想と文體は變はらないことを見ていただきたいのです。をこがましいですが、表記を變へたからとて、短歌のスタイルは(良くも惡くも)變はらないものだ、といふことを、私は知りました。ですから、今 短歌をやつてゐて、正字正かなを使つてみようかと思ひ乍ら躊躇してゐる方には、さうびくびくするやうなものでもないですよと、言つておきたいのです。

參考文献(著編者敬稱略)
參考になるサイト

2006年10月29日初囘脱稿

2006年11月8日 誤字を修正しました。

2006年12月5日 誤字を修正しました。

2007年4月11日 誤字を修正しました。

2008年10月1日 一人稱を「僕」から「私」に變更しました。